最期の花束

何も言わずただ黙って見ていて欲しい

TumblrTwitter連携をした覚えが1ミリもないが、解除したことは覚えてる

 

しかしそれにしたってツイートも残ってないしどうやって、 いや全部思い込みかもしれないのだけど

 

統失の疑いがあると、tumblrの時なら気にせず書いたわけだがここはよりオープンな気がして叩かれそうで嫌だな 

 

この世で本当に自由な場所とはきっと自分の心の中にしかないと思う

 

 

 

今日はすごい調子が良かった

 

呼吸が上手くできたおかげとよく思うのだけれど

実は逆で調子が良いから呼吸が上手くできるのではないかと最近はそう思うようになった

 

そうだとしたら呼吸法によって自分をコントロールというか、調子を良くすることはできないということで、悲しい。ガッカリだ

 

心の中を覗いてる感覚になれるものって良い

 

太宰治を読むのはその感覚に近い

 

汚い心を持っているのは自分だけじゃないんだと安心出来る

 

太宰治を最初に読み始めたのはかっこつけだったり賢ぶりたかったからなんだけど

 

読んでいくうち太宰治がすごい自分に似ている気がしてきた

 

なにげなく読んでた文章、聴いてた音楽が、後から意味が分かったり、自分の感じていることと似ていたことに気づいたりすると恋に落ちるように好きになる傾向がある

 

 

 

虚しいですね

 

独りになりたくて誰も自分を知らない場所に来て結局寂しくなって 

 

誰にも見てほしくないけど誰かに見てて欲しい

 

一昨日から調子が悪い 今日も苦しい 昼間は良かったんだけど

 

どこまでも着いてくるなあ

 

どうしようもない 

 

人間らしく生きれる期間がすごく短い

 

やりたいことはやりたいと思った瞬間にしなきゃすぐに腐る

 

そんな自由な金や時間、メンタルはないんだけどね

 

 

痛いやつである事は承知しております。でも寂しくてまたこうやって恥を見せびらかす

 

コメントはいらない

 

なにも反応しないで欲しい

 

 

最期に花束に囲まれるイメージが浮かんだ

花束というよりは花に囲まれるが正しいんだろうけど語感的に好みじゃないので花束で。